2016.01.26
新卒募集 社畜 ブラック企業について社畜と呼ばれる副社長が考える
「平田は社畜だからさ〜」と、友達からよく言われます。土日も仕事をしていてほとんど友達と遊ぶ時間を取ろうとしないからです。彼らに限らず社会人は「社畜」という言葉を連呼します。
「社畜だから雪ひどいけど出社」
「社畜だから金貯めるしか楽しみが無い」
など、決して良い意味では使われません。そもそも言葉の構成からして「会社」の「家畜」です。もし会社が人間を家畜扱いしているとしたら、それは法律や憲法に違反するのでしょうか?「社畜」「社畜」と叫ばれる一方でその正しい糾弾は成されていないのでは無いか?ということを、社畜と呼ばれる1人として考えてみました。
あれっ、皆社畜じゃん
「社畜」「ブラック企業」という言葉は、私が就活を意識し始めた頃によく聞くようになりました。特にブラック企業という言葉を世間に知らしめた「ブラック企業に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」が書籍として出版されたのは2008年。これまでの不満が爆発したかのように、一気に「会社に使い倒される労働者」というイメージは広がりました。「社畜」は前述したとおり良い意味で使われる事はなく、「会社に飼い慣らされ、従順に仕事をする人間」を揶揄する時にも、「会社のために異様に尽くしている自分」を嘆くとき等に頻出します。
辞書によると「家畜」とは「人間の生活に役立たせる目的で飼育される動物」を指します。「社畜」は「会社の経営に役立たせる目的で飼育される人間」といったような意味になるでしょうか。「飼育」とは「食べ物を与えて動物を養い育て、飼い慣らす」という意味なので「給与を与えて人間を養い育て、飼い(?)慣らす」という形に言い換えることもできます。
となると社畜とは「会社の経営に役立たせる目的で給与が与えられ、養い育てられる人間」のことです・・・。あれ?それって別に当然では?だって会社が、自社の経営に役立たなくても良いからと給与を善意で社員に与える事はありませんし、そういう意味では社員は養われています。また、仕事の場であらゆる教育を受け「育つ」ということもあるでしょう。
なーんだ悪いこと無いじゃん!社畜バンザイ!みんな頑張ろうね!・・・という所で話が終わるのはさすがに揚げ足を取りすぎなので、もう少し考えましょう。そもそも「社畜」と言われる「労働者」とは法律上どういった存在なのでしょうか?
労働者についての記述は「憲法」と「労働法」のどちらにもあります。ここで注意が必要なのは、「憲法」は国民が国に定めるものであり、いわゆる法律と言われる「労働法」は、国が国民に定めるもの、という違いです。法律が暴走しないよう最低限のルールとして国民が国に課しているのが「憲法」という訳ですね。憲法が先、法律が後。「憲法違反」の法律は制定できないことになります。ではまず憲法における労働者について簡単に見てみましょう。「社畜」に関連するしそうな部分を下記に抜き出してみました。
日本国憲法より抜粋
第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。
以上は、日本国憲法からの一部抜粋です(下線部は、労働に関わる部分をこちらで判断し記入しました)。
憲法では「勤労条件については法律を使って取り締まること」と「奴隷的拘束の禁止」「職業の自由」を国に対して定めています。どんな人間も奴隷的に拘束されることなく、勤労の権利を持っていることおよび義務が発生しています。勤労することは自由ですし、勤労する以上義務が発生するということですね。これは当然です。怠けていたらダメです。
それでは「労働法」ではどうでしょう?厚生労働省の「知って役立つ労働法~働くときに必要な基礎知識~」を参照してみましょう。
ここでは労働法についてとてもやさしい説明がしてあります。例えば労働基準法においては下記のことが禁止事項となっています。
① 労働者が労働契約に違反した場合に違約金を支払わせることや、その額をあらかじめ決めておくこと(労働基準法第 16 条)
② 労働することを条件として労働者にお金を前貸しし、毎月の給料から一方的に天引きする形で返済させること(労働基準法第 17 条)
③ 労働者に強制的に会社にお金を積み立てさせること(労働基準法第 18 条)
また、労働契約については書面で残すこと、就業規則を会社側は必ず決めなければならないこと、労働契約や就業規則と違う労働環境になった場合には会社に対して労働環境を改善するように交渉することも可能ですし、その場で契約を解除出来ることも書いてあります。これらが守られていない場合は全て「法律違反」ですから、労働者はかなり守られている存在ということになります。
最も注意すべきは、労働法の対象になる「労働者」とは派遣社員、契約社員、パートタイム労働者などを指し、業務委託や請負といった形態で働く場合は「事業主」として扱われ、「労働者」としての保護を受けることはできません。つまり個人事業主や役員といった人々は労働法の恩恵を受けることはできません。つまり私の場合は残業代も出ませんし、会社に何かがあったら責任を取る必要もあります。もし売上が足りない!ということになれば自腹を切る可能性だって無きにしもあらず。
ここまでしていて「まるで会社のためだけに従順に働く社畜みたい!」と言われるのは、確かに「(一般労働者に比べて)会社に尽くしすぎてる・・・」という理由で正しいかもしれません。私は自分を社畜とは思っていませんが・・・。そもそも社長や副社長、引いては役員が「俺ってマジ社畜」という事は殆どありません。ほとんど「社畜」という言葉は労働者からのみ発せられます。これは何故か?
Wikipediaで「社畜」を調べたところ、面白い記述がありました。「社畜」は「会社人間」「企業戦士」といった呼称よりも馬鹿にされているニュアンスがあるというものです。会社員が自らを社畜と定義した場合は自虐となるのでしょうか。
しかし先ほども触れたとおり、会社役員など労働法で守られず、どちらかと言えば不利な人、まさに「端から見るとまるで自己犠牲のように会社のために飼い慣らされている人」ほど自らを社畜と自称しません。それほどまでに完全に飼い慣らされてしまっているのか・・・?いえ、と言うよりは、彼らは(少なくとも私は)会社を飼い慣らしてやるぜ!くらいの気持ちでいるからです。
会社に勤めるということだけではありませんが、人生において様々な状況はある程度選択可能にできています。どんな目標を持ち、どんな人生のゴールを決め、そのためにいくら稼ぎ、どんな会社に勤めるか。嫌なら辞められることは憲法でも保証されていますし、自由度の高さはお墨付き。それでももし自らを「社畜」だと自虐しているのであれば、その社畜たる自分の首輪は自分で結びに行ってしまっているのです。会社からはいつでも逃れられるけれど、望まない会社で望まない仕事をしているのは・・・実は、あなた自身が原因なのです。
私にとって会社は「目標のためにいてあげるところ」であり、「いる以上は価値を出すところ」です。会社が私を「飼い慣らしている」かはわかりませんが、私は私の働き方にビ・ハイアが一番合っていると自覚していますし、ビ・ハイアも私を雇って良かったな!くらいに思っています。そうでなければ日々の仕事を楽しむなんて不可能でしょう。これを読む皆さんが社会人か、社会人になったことが無い人かわかりませんが、「社畜」という言葉は自分の人生への責任を問う言葉です。首輪を外したければ外して良いし、不当な働かされ方だ!と思う場合は出るところに出られるのです。どうか自分の人生を、自分の足で歩けるようにしてください。
この記事についてはこちらの動画でも説明しています。
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