2016.01.09
セバスチャン・サルガドを観て 上手い絵が描きたいなら家を燃やせ、亀のように這いつくばれ?!
先日、セバスチャン・サルガドという人について撮られた映画を見ました。そして、私は宇治拾遺物語『絵仏師良秀』の一説を思い出しました。
セバスチャン・サルガド 地球へのラブレターはヴェム・ヴェンダーズ監督による2014年の作品です。ヴェム・ヴェンダースはドイツ出身の映画監督で、「パリ、テキサス」といった名作や「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という上質な音楽ドキュメンタリーも撮っていますので、この記事を読んで気になった人は是非チェックしてみてください。
さて、今回の映画もドキュメンタリーですが、中心となって撮られているセバスチャン・サルガドはブラジル出身の写真家です。元々は父親によって経済学を学ぶ道に進まされたのですが、建築を学んでいた妻が仕事柄カメラを購入したことから、自分もカメラの魅力に取り憑かれてゆきます。経済学を学んだ後、軍事政権の支配から逃れてフランスへ渡り、写真家として本格的に活動を始めます。報道写真家として地位を確立してゆく中でサルガドは少数民族や難民問題と向き合い、世界を渡り歩いて何年も家に帰らないような生活が続きます。
その流れの詳細やサルガドが撮影した写真の圧倒的な力強さは是非映画を観て頂きたいんですが、何より彼の「表現者」としての努力は恐ろしいものがあります。
湾岸戦争でイラク軍がクウェートを撤退する際、700を超える油井(石油汲み取り装置)に火を付けた事件では、消火活動にあたる世界中の消防士達を撮影するため、矢も楯もたまらず現地へ飛び撮影し続けました(写真はセバスチャン・サルガド「WORKERS」より)。
この時からサルガドは難聴を煩ったと言います。その後もあまりに難民問題のような重い問題と向き合いすぎたために心身共に傷つきすぎたサルガドはしばらく後に自然写真家に転向しますが、自然写真家としての態度も真剣そのもの。普通であれば動物に逃げられてしまうような環境でも、亀を見つければ亀と同じように四つん這いで地べたを歩き回ることで何日もかけて警戒を解き、撮影に成功します(写真はセバスチャン・サルガド「GENESIS」より)。このようなエピソードは山の様にあり、ただ写真を撮るだけではなくその場で体験し、共有することで新たな世界を自らに取り入れるサルガドの姿勢を知る事ができます。
この文章の最初に引用したのは日本の古典、宇治拾遺物語の「絵仏師良秀」ですが、これは自宅が火事になった仏教専門絵師の良秀が、まだ妻や子供が残っているのにも関わらず燃え落ちる我が家を見て「そうか、炎とはこう燃えるものなのだ。
ずっと不動明王の後ろの炎が上手く描けなかったが、こうすれば良かったのか。これはもうけものだ。」と笑うという有名なシーンです。この後「これで絵が上手く描けるから、代わりの家など次々建つ」というセリフが続きます。妻子の代わりは無いと思いますが・・・。
しかし、これもある種クリエイターが理想を追い求める結果、凡人には理解できない逸脱した行動を取る事のたとえとして記録されています。
クリエイターは皆かくあるべき!とは言いませんが、世間の作る常識に呑まれてしまい、世間の人々の目を覚ますようなクリエイティブができないことはやはり勿体なく思います。その「常識」とは「可愛い絵の定義」だったり「ゲームとはこういう風に作るもんだ」という知識だったりします。
方法論というものは「最も効率的に作れる方法」であって、あなたの中の情熱を全て出し切るためのノウハウはあなたしか知りません。ゲームアニメ漫画業界は歴史が浅く、ゲーム業界なんてできた頃には専門学校すらありませんでした。
それが今は、それなりの手続きを踏んで就職・転職するのが当たり前みたいになってきました。本当は「面白いものを作りたい」という情熱は、型にはまった何かよりも前にあるものです。
家を燃やすとか亀と同じ視点に立つために這いつくばるというのは1つの例でしかありませんが、もし毎日のクリエイティブの仕事をルーティーンで「仕事」として行っているとしたら、それはクリエイターからは程遠くなってしまいます。
毎日の仕事以外にも、こういったクリエイティブな人達の作品や考えに触れること、そして自らのためだけのクリエイティブな時間を取ることをもっと大切にすることを、いち求人サイトのスタッフとしてより、ゲームアニメ漫画好きとして心よりお勧めいたします。因みにサルガドの映画は「セバスチャン・サルガド〜地球へのラブレター〜」というタイトルですので、是非探して見て下さい。